オンラインサロン

2020.04.27

近代日本初のパンデミック 

  • 災害(災い)への対処の仕方
  • 対象とする災害(災い)
  • 避ける
  • 抑える
  • 疫病

国際港湾都市神戸と伝染病

 現在世界を席巻しつつある新型コロナの猛威に思いを致して、少し歴史をさかのぼり、明治初期のわが国の伝染病対策に目を向けてみたいと思います。

 明治維新以後の急速な開国政策のなかで、わが国は伝染病上陸の危険にさらされておりました。とくに私が住む神戸は、1868年1月1日の開港以来、商都大阪の国際貿易に対応する外港として異例の都市的膨張を続けており、伝染病流行の発信源となる可能性を常に孕んでいました。

明治初期のコレラ大流行

 1877(明治10)年9月に、西南戦争の凱旋兵が神戸港に上陸、そのなかにコレラ患者が発生して全市に伝播、10月にはコレラ患者が道路上で斃死する惨状を呈しました。

 1879(明治12)年には全国的にコレラが大流行、近代日本初のパンデミックとなって、死者は全国で10万人余、神戸だけでも650人に達しました。神戸では、6月以降爆発的に拡大、11月になってようやく終息に向かいました。

 この年の7月14日に、日本最初の統一された検疫規則である海港虎列刺病伝染予防規則(太政官布告第28号)が施行されましたが、同日はのちに検疫記念日に指定されています。

和田岬消毒所の設置

 神戸市『衛生局のあゆみ』の年表(明治11年)によると、「神戸にては、家屋内外の清掃消毒を励行、和田岬に消毒所を設け長崎経由船舶の検疫を行い、船中死亡者あれば、その着衣等を熱気消毒してコレラ流行を免がる(原文ママ)」とあります。

 記載されている消毒所が、現在の神戸検疫所の前身となりました。

神戸検疫所(神戸市兵庫区内、地下鉄和田岬駅下車徒歩15分)