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2019.12.09

祇園の示現~疫神を鎮める神~

  • 災害(災い)への対処の仕方
  • 対象とする災害(災い)
  • 抑える
  • 疫病

吾妻鏡にみる祇園の示現

 鎌倉時代を記した歴史書である「吾妻鏡」によると、寛喜3(1231)年5月4日の条に「祇園示現」の記述が載せられています。これによれば、先月頃ある僧が祇園の示現と称して夢を記し洛中に披露したので、九条道家は鎌倉にいる子息の四代将軍頼経にこの夢記を送られました。これによれば、疾疫と餓死が除かれるよう『般若心経』の読誦と鬼気祭を修せよとのこと。また、疫癘が5月以後6月18日以前に起きるので、併せて送られた「急急如律令」の護符を懸けよとありました。

牛頭天王

 この時代には、既に祇園感神院(祇園社、現在の八坂神社)の祭神として牛頭天王が勧請されていたと考えられますので、「祇園(の神)」は牛頭天王をさしています。この神について村山修一さんの説に従ってみてみると、本来はチベット牛頭山の神で、現地に自生する栴檀は熱病等に効ありとされ、疫神として信仰されていましたが、密教と習合して日本にもたらされたとのこと。

祇園祭

疫神を鎮める神

 一方、祇園社の社僧には、鎌倉期になると安倍氏流の陰陽師が入り、疫神としての牛頭天王は薬師如来を本地仏と仰ぎ、眷属の十二神将は陰陽道の十二月神等と結び付けられて、宿陽道の星宿信仰へと変化していました。こうした信仰は牛頭天王信仰と習合し、祇園社をひとつの中心として、法師陰陽師たる山伏のもとで各地に拡がったと考えられます。
 この説は陰陽道(宿陽道)の展開を中心に述べられていますが、その背景として牛頭天王は、本地垂迹と御霊信仰に基づき、本地仏たる仏菩薩の豊かな利益を自らの霊験として行疫神を鎮め統御する高い存在に昇華しています。先の記述には、こうした牛頭天王の示現という形をとって疾疫を除く対策が示されています。

牛頭天王 信仰の拡がり

 こうした牛頭天王信仰は、やがて全国各地の村落に拡がっていくことになります。村落における疫病対策として、牛頭天王の霊験を祈願し祇園社を勧請することがなにより求められたのです。 『釈日本紀』に引用された『備後国風土記』疫隅国社の縁起に出てくる「茅の輪」「蘇民将来の子孫守護」の物語は、牛頭天王信仰と結びつくことにより、各地に疫病に対する予防と対策の信心として受容されていきました。全国各地に伝えられる夏越の祓の「茅の輪」や「蘇民将来の呪符」は、牛頭天王の霊験を呼び込む呪具と認識され、年中行事として定着したものと考えられます。
 それにしても、牛頭天王 と現在の八坂神社の主祭神スサノヲは、行厄神を鎮める存在として共通の属性をもっていますが、ともに起源はよく分かっていないところがあります。両者を習合させる発想の源流は、意外とはるか昔のインド・チベットあたりに遡ることになるかもしれませんね。