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2019.11.22

災異現象への対応~災いの予兆と祈り~

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  • 災害(災い)への対処の仕方
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  • 飢餓

中世期の飢饉や疫病

 災害と怪異の諸現象(災異現象)に対する人々の対応は、時代によって変化してきたと思われますが、飢饉や疫病が打ち続いた中世を例にとって、その対応の様子をみてみましょう。水野章二さんによれば、鎌倉・室町期には3~5年に1回、戦国期には2年に1回の割合で、全国のどこかで飢饉や疫病が発生していたようです。

寛喜3年

 鎌倉時代を記した歴史書である『吾妻鏡』には、この時代最大規模の飢饉が発生した寛喜3(1231)年の様子が記されています。同年に至る数年前から天候不順が続き、安貞から寛喜への改元も飢饉と疫病による災異改元でした。寛喜2(1230)年の長雨と冷夏、寛喜3年の酷暑による旱魃という悪循環は、多くの農民が備蓄穀物を食べつくし餓死に至るという深刻な飢饉をもたらしていました。

怪異現象と卜占

 『吾妻鏡』には、寛喜3年に起こった怪異な出来事として、月蝕、月犯軒轅第三星、大流星亘天、山鳩群衆、烏怪、南風頻吹、大風吹、雨頻降、三嶋社壇鳴動、海辺鳴動、大晦夜雷鳴と非常に多くのことが記され、それらは災いの予兆として、その都度陰陽師による卜占が行われました。

部分月食

災異消伏の祈願

 そして、幕府によって、窮乏者への出挙米施出、寺院新造の延引、華美の禁止などの徳政的対応が行われるとともに、次のような災異消伏の祈願が行われました。
・仏法によるもの 鶴岳八幡宮大般若経読誦、同仁王会、国分寺最勝王経転読、十日間問答講、鶴岳放生会、薬師 護摩
・陰陽道によるもの 四角四堺祭、鬼気祭、地震祭、風伯祭、三万六千神祭、将軍の属星祭・ 代厄祭
・神祇によるもの 鹿嶋社奉幣、将軍と御台所による千度祓

大般若祈祷会(清昌寺)

災異現象への対応

 天変地異等の予兆をきめ細かくとらえ、卜占を行うことによって予防対策に全力をあげる、そして飢饉などの発生時には出挙米施出等の徳政策を講じ、さらに仏法・陰陽道・神祇とあらゆる宗教的権威の力を借りて災異消伏を祈願する。こうした必死の努力が幕府の威信をかけて行われていました。
それにしても、災異消伏の祈願は、仏法・陰陽道によるものが中心だったようですね。