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2019.12.10

蘇民将来の呪符~災いを避ける~

  • 災害(災い)への対処の仕方
  • 対象とする災害(災い)
  • 避ける
  • 疫病

備後国風土記逸文

 鎌倉時代末期、卜部兼方によって編まれた『釈日本紀』のなかに『備後国風土記』の逸文が載せられており、疫隈国社の縁起として蘇民将来の物語が記されています。そのくだりを書き下し文(原文は白文)で引用すると、

 昔、北海にいましし武塔神、南海神の女子をよばひに出でまししに、日暮れぬ。その所に将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚貧窮、弟の将来は富饒、(中略)宿処を借り給ふに惜しみて貸さず。兄の蘇民将来は(中略)粟飯等をもちて饗へ奉りき。年を経て八柱の子を率て還り来て詔りたまひしく、「我、将来に報答をなす。汝が子孫、その家にありや。(中略)茅の輪をもちて、腰の上に着けしめよ」詔のまにまに着けしむるに、その夜に蘇民の女子一人を置きて、皆悉に殺し滅ぼしてき。(後略)

 このあと武塔神は、自分はスサノヲの神であり、後世に疫病があれば、蘇民将来の子孫といって茅の輪を腰につければ免れることができると告げています。

夏越の祓「茅の輪くぐり」

理不尽なストーリー

 この逸文では、生き残ったのは兄の蘇民将来の娘ただ一人であり、武塔神を温かく迎え入れた兄の蘇民将来自身も殺されたとされています。この理不尽なストーリーはどこからくるのでしょうか。多くの研究者によって様々な解釈がなされていますが、私は直截的ですが、そこに神の威力というべきものを感じます。

災いを避ける

 我々人間を襲う災いが神の名で受け止められたとしたとき、その威力は我々の人情をはるかに超越したところにある、いわば「あんなにいい人が被害に遭うなんて・・」という理不尽さを感じながら、それをぐっと飲み込むしかないという圧倒的な力の差を実感する。神=災いの脅威に直面するとき、まずその力を避ける手立てを講じること、これがなによりも優先されるべき選択肢と受け止められていたように感じられました。

蘇民将来の呪符

 逸文に出てくる茅の輪や、蘇民将来の子孫守護に由来する呪符は、やがて全国各地に疫病に対する予防と対策の信心として受容されていきますが、私の地元にある神戸祇園神社(神戸市兵庫区)の「蘇民御守」は、六角形のこけし型のもの(写真)で、全国的にみても珍しいものではないでしょうか。

神戸祇園神社「蘇民御守」